太宰府天満宮門前六町の歴史文化を様々な角度から紹介
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門前六町(もんぜんろくちょう)の紹介

門前六町と呼ばれる、太宰府天満宮周辺の6町の紹介です。

太宰府天満宮の門前町は、太宰府天満宮の西側、宝満山を源流とし南流する御笠川との間に展開しています。
かつて、幸ノ元水路(幸ノ元井堰から小鳥居小路を経て溝尻の藍染川までの溝に対しては、これまで呼び名がないので、ここでは「幸ノ元水路」という。)は、門前町のなかを流れ、生活用水だったり、下流の農業用水だったりもした。しかしながら、第一の役割は、天満宮と町家を区分する結界と思われます。

江戸時代の末期には、天満宮の境内並びに門前町を描いた絵画があり、絵画によると参道に鳥居があり、水路に沿って斎垣が描かれている。また連歌屋の通りにも鳥居と斎垣が認められます。
天満宮の門前町には、天満宮に奉祀する社家や様々な職業の人々が住んでいました。山上(三条)・連歌屋・馬場には社家の屋敷が多く、現在も遺りますが、町屋風の建物があったと思われます。
明治以降、六町に再編されて「三条」・「連歌屋」・「馬場」を寺社奉行の管轄下にあるところから上三町とし、「大町」・「新町」・「五条」を郡奉行の管轄下にあるところから下三町と云うようになった。また、北から御笠川の流れに沿って、「三条」・「連歌屋」・「馬場」・「大町」・「新町」・「五条」と並び、順番を決めたり、整列する際に「川流れ」にと言うと、この順に並ぶ習わしがあります。

上三町(かみさんちょう)と下三町

かつて参道の斎垣(参道と小鳥居小路と交差地点)より天満宮よりの三町を上三町(かみさんちょう)、それより西側の三町を下三町(しもさんちょう)と呼んでいます。
この区分けは太宰府天満宮の祭事(例えば、1月の鬼すべや神幸式)の際の役割分担を決める際にもいまでも使われており、地域の方の共通認識になっています。

上三町(かみさんちょう)

太宰府天満宮に近い、現在の自治会区分けでいう「三条」「連歌屋」「馬場」が該当します。

下三町(しもさんちょう)

参道の斎垣の西側、現在の自治会区分けでいう「大町」「新町」「五条」が該当します。

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