1930年代生まれ
新町在住
のお話です。
岩渕ー御笠川の思い出
昭和28年の大水害前までは、大きな岩が突き出たようにあの場所にあった。そのために、岩渕という地名になっている。周辺一帯が岩だらけであった。
その洪水で壊れて流されてしまった。
そこは洗濯場として20人ぐらいの住民が使っていた記憶がある。
本当は「岩踏み」といっていたそうで、徐々ににごって「岩渕」になった。
潔斎の場所であり、祭り事の前はもちろん、12/31は神職も清めの儀式を行っていたという。
橋の順番は、下流から朝日橋=醍醐橋=浦ノ城橋=連歌屋橋=岩踏橋=三条橋の順に橋があるが、三条橋が掛かる前は吊り橋がかかっていて、水車が回っていた時代もある。
御笠川は暴れ川で有名で、かつてはもっと蛇行して流れていた。今は白川、観世までは直線だが、当時は蛇行しており、溜まり場で鰻なども取れていた。
昭和28年の大洪水では岩だけではなく、橋が6か所も流された。
その都度電柱(当時は木製)を6本横にして仮設の橋にしたもある。
太宰府小の橋(朝日橋)から新町方面に用水路が引いてあったが、洪水のときには溢れて新町は水浸しになったり、天満宮の池が溢れて鯉も流れてきたこともあるぐらいであった。
国際赤十字からの援助が入り、ヘリコプターなどで救援物資を運びに、太宰府小の校庭がヘリポートになっていた。
かつて川は子どもたちの遊び場になっており、飛び込んでも大丈夫なぐらいの深さ、水流もあった。
かつては六地蔵(新町)や川にせせりでたムクノキからも飛び込めた。
もちろん水もとてもきれいで、ヤマトかに、カワズカ、エビ、ハヤなども多く生息していた。ホタルの餌であるミナも多く見られ、ホタルも豊富に生息していた。